お墓参りの意味は何か?お墓参りの仕方や必要性について

お墓参りの意味は何か?お墓参りの仕方や必要性について

一般的な日本人の方であれば、お盆やお彼岸に先祖のお墓参りをしているでしょう。

あるいは逆に、お墓参りをする意味が自分の納得のいく答えとしてないので、行くことを躊躇している方もいるかもしれません。
そもそもお墓参りにはどのような意味があり、何のために行くのでしょうか。
ここではそんな、日本人の宗教観の本質に迫ってみます。

お墓参りはどんな行為を指すのか

まずそもそもの話ですが、お墓参りとはどのような行為を指すのでしょうか。

墓参りとは何か

お墓参りのごく一般的な意味は亡くなった人の冥福を祈るためするということや、お墓参りをすることで故人が成仏でき、あの世でも安心して暮らせることを目的に、お墓に行って浄水などを供え、そしてお墓に手を合わせる行為です。
あるいは少し信心深い人であれば、結婚などの家族や自分の家に変化があったことを報告するためという理由も含まれるかもしれません。

墓参りですることは?墓掃除は必須?

ではお墓参りですることには何があるのでしょうか。
これは自分の家がどの宗教に帰依しているかによって異なります。

仏教でのお墓参り

まず仏教の場合です。

仏教のお墓参りをするための準備物は、「手桶」「柄杓」「線香」「ロウソク」「マッチ」「花などのお供え物」です。

服装としては、厳密に言えばどの宗派に属しているかによって異なりますが、一般的には落ち着いた服なら、普段着でOKです。
ただし、四十九日法要や、一周忌などの重要な法要の際には準喪服、つまりダークスーツに黒ネクタイということが必要な場合もあります。

お墓参りの仕方としては、以下の通りです。

まずお墓に行ったら、墓地に備え付けられている手桶に水を汲み、柄杓でその水をお墓にかけます。
その際には水鉢といってお墓の前部にあるへこんだ部分にたまっている雨水も掻き出して、コケなどがついていたらきれいにしましょう。
またお墓が汚れている場合は、あらかじめ柔らかいブラシなどを用意してお墓を磨くこともしましょう。

お墓がきれいになったら、仏花を左右の花立に飾ります。ただし花は菊などの仏花に限らず、故人が好きだった花があればそれを供えても故人は喜んでくれるでしょう。
そして次に持参した、やはり故人が好きだった飲食物などもお墓に供えます。
ただし食べ物が墓石に直接つくと、そこからカビが発生して墓石を傷めるので、下に懐紙などを敷きましょう。

そして線香に火をつけて線香受けへ立てます。
ただし浄土真宗の場合は、線香を2つまたは3つに折り、そのうえで墓の前に横にして供えることに気を付けましょう。
また線香につけた炎がなかなか消えない時には、息を吹きかけて消すのではなく、手であおいで消します。

ここまで終わったらいよいよお祈りです。数珠を手にかけ、お墓に向かって合掌します。
この時には、まず故人の冥福を祈ること、無事に家族が暮らしているのを報告することを念じましょう。

お墓参りに行った人が順番に合掌したら、片付けです。線香の封など出たゴミを残さないように片付けて持ち帰りましょう。
また飲食物のうち食べ物は、そのままにしておくとカラスのえさになったり、腐敗して墓石を傷めるのでこれも下げて持ち帰ります。
墓地から借りた手桶や柄杓も忘れずに返却しましょう。

キリスト教でのお墓参り

キリスト教の場合は以下の通りです。

まず準備するものは、「白い小菊、白いカーネーション、白い百合などの白い花」だけです。
仏花は避けましょう。線香なども不要です。

お墓参りの手順は以下の通りです。

まず仏教の場合と同じようにお墓の掃除をします。
そして花を供えて礼拝します。
この時には故人の好きだった飲食物などは供えません。
礼拝の仕方は手の指を組んで、故人に祈るのではなく、神へ祈りを捧げます。
昇天記念日などでするお参りの際には、礼拝とともに賛美歌を歌ったり、聖書を朗読したりします。

礼拝が終わったら、出たゴミを片付けて帰ります。

神道でのお墓参り

神道の場合はお墓参りは以下のように行います。

まず準備するものは、「榊」「お神酒」「塩」「浄水」「炊いていない白米」「ロウソク」です

お墓参りの手順は以下の通りです。

まずやはり仏教と同様に、お墓、神道で言う奥津城の掃除をします。

そのうえで榊や、お神酒、塩、浄水、白米などを供えます。
ロウソクに火を灯してロウソク立てに供えましょう。
榊の供え方は花立に花を挿すのと同じ方法です。
故人の好きだった飲食物などは供えません。

次に礼拝です。
礼拝の方法は、まず深く一礼して一拍手を行い、その後に2回頭を下げる二礼を行い、再度二拍手します。そして、最後に一礼して終了です。

帰る際にはロウソクを消し、やはり出たゴミを片付けて持ち帰りましょう。

なんのためにお墓参りをするのか

以上が一般的なお墓参りですが、そもそもお墓参りの目的とは何なのでしょうか。
それもやはり帰依している宗教によって異なります。

仏教におけるお墓参りの意味

仏教では、お墓参りは、先祖や故人が成仏し、あの世で安心して過ごせるために行います。
また故人に家族が無事で暮らしていること、結婚などの家族の変化があったら報告を行うこと、家族が無事に暮らしていることを見守ってくれている故人に感謝することなども目的の1つです。

キリスト教におけるお墓参りの意味

キリスト教では、お墓参りは先祖や故人に向けてするのではありません。
その代わりにに対してお祈りを捧げます。
最終的にはやはり故人が天国で無事に暮らしていられることを祈ることが目的ですが、それは神の思し召しなので、神に故人を守ってくれるように祈るわけです。

神道におけるお墓参りの意味

神道では、そもそもお墓といいません。
神道では死は穢れにあたるので、個人のお墓はお墓と呼ばず、「奥津城(おくつき)」と言います。
そして仏教の場合、お墓は寺院にあることが多いですが、神道の場合はお墓は神社に置かず、公営、民営の霊園などに置きます。
ただ、お墓参りをする意味は、故人の冥福を祈ること、故人に感謝をすることなど、などは仏教と同じです。

お墓参りをする精神的な意味は何か

以上が宗教的なお墓参りの意味であり、それは決して間違ってはいませんが、しかし本質的にはお墓参りにはほかの意味もあります。
では本当の本質的なお墓参りの意味とは何なのでしょうか。

お彼岸の本当の意味

まず春と秋の2回やってくるお彼岸です。
お彼岸は正式には「彼岸会(ひがんえ)」と言います。
「彼岸」とは仏教用語であの世のことです。これに対してこの世は「此岸(しがん)」といいます。

もっと正確に言うと、故人は亡くなってからすぐに彼岸に行けるわけではありません。
彼岸は何の心配もない悟りの世界ですが、故人の霊魂はなかなかそこにたどり着けずに、此岸と彼岸の間でさまよっています。
お彼岸の儀式は、このさまよっている故人の霊魂が無事に彼岸に行って安楽に過ごせるようにするのが目的です。

しかし単に祈っても故人が彼岸に行けません。残された遺族が仏教で定められている以下の徳目を行うことによって、故人は彼岸に到達できるとされています。

・布施:金品だけでなく施しを行うこと
・持戒:仏教の定めるルールを守ること
・忍辱:困難に耐えること
・精進:常に努力をすること
・禅定:安定した精神状態を保つこと
・智慧:真実を見極める力をつけること

以上の徳目を春秋2回のお彼岸の際に1つづつ遺族が実践し、全てを終えた時に故人は彼岸に行くことができるとされています。
したがって、お彼岸の本質的な意味は、お墓参りに限らず以上の徳目を実行することなのです。

自分の生きている意味を知る

どの宗教に帰依しているかに関係なく、全ての人間が生きているのは偶然ではありません。
自分が生まれてくるためには父母がいなければなりません。
父母がいるためには祖父母が必要ですそして祖父母がいるためには先祖が必要です。

そのように、自分がいま存在しているのは、先祖が営々とつながっていてくれるからこそなのです。

お墓参りの本質はそのように、先祖から自分がつながって、今になっているということを改めて考えることです。
そう考えると、自然に先祖に対する感謝が生まれてくるので、そこで初めてお墓に手を合わせるわけです。

墓参りをするタイミングは

ではお墓参りをするタイミングにはいつがあるのでしょうか。

命日

故人が亡くなった日を命日と言います。
命日には故人が亡くなった月と日づけが同じ「祥月命日(しょうつきめいにち)」と、毎月やってくる亡くなった日づけの「月命日(つきめいにち)」があり、可能であればこの祥月命日と月命日にはお墓参りをします。

お盆

お盆は地方によって7月中旬と8月中旬に行われる行事です。
もともとお盆は、仏教用語の盂蘭盆(うらぼん)、盂蘭盆会(うらぼんえ)から来ていて、タイミングに限らず、故人に供物をささげ、供養をする行事を指します。

現在のお盆は、故人が年に1回この世に帰ってくるとされている期間です。
したがって故人を迎えるための迎え火を焚き、お盆が終わる時には故人があの世に帰れるように精霊流しや灯篭流しを行います。

お彼岸

お彼岸は先ほど書いたように本質的には遺族が徳目を実行する日ですが、一般的には故人の冥福を祈る日です。

春のお彼岸は春分の日を中日とした前3日、後3日の7日間、秋のお彼岸は秋分の日の前後の7日間です。
この間に1回お参りをすることが、お彼岸のお墓参りです。

キリスト教の場合

キリスト教の場合は、お盆やお彼岸はありません。
その代わりに、「死者の日」と「昇天記念日」にお墓参りをします。

死者の日とは11月2日の万聖節と呼ばれる日の翌日です。
この日は教会でミサが行われるので、それに参列してその後にお墓参りをします。

昇天記念日とは仏教でいうところの祥月命日です。
ただしプロテスタントの場合は毎年行うのではなく、まず故人の死後1ヶ月後が昇天記念日で、それ以降は1年後、3年後、7年後の亡くなった同月同日にお墓参りをします。

墓参りは無意味?お参りしないとどうなるか

日本人の宗教観は大きく変わってきているので、以上のような理由があっても、その宗教的な背景を素直に信じられず、お墓参りをする意味が感じられない人も増えています。
そういう人はお墓参りを無意味だと考え、それ自体をしないようになっています。果たしてそれはよいことなのでしょうか。
あるいはお墓参りをしないことで、何か悪いことが起こるのでしょうか。

結論から言えば、お墓参りをしなくても、現実的に悪いことなどは起こりません。
よくお墓参りを怠ると先祖の祟りがあるなどを言いますが、全て迷信です。

しかし故人の霊魂などを信じず、今自分が生きているのを、全て自分がもたらしたことだと考えて生きることは、極めて即物的で、精神的には貧しいということは言えるでしょう。
「人はパンのみにて生きるにあらず」といいますが、精神的な充足があって、初めて豊かな人生を送れます。
お墓参りは、そのように普段の忙しい生活からいったん離れて、自分が今生きている意味などを考える機会なのです。

ですから故人や先祖のためではなく、自分のためにお墓参りをするというのが、本当の本質的な目的なのだと言えるでしょう。

まとめ

お墓参りをするにしてもしないにしても、自分が今の自分を見直し、その今の生活があるために故人は何をしてくれたのかを考えることはとても重要です。
そう考えると自然に故人や先祖への感謝の念が湧くでしょう。それが本来的なお墓参りなのです。

ですから今度の命日、今度のお彼岸には、そのように考えてお墓参りをすることをおすすめします。