お墓の歴史!縄文時代から現代まで15000年を振り返る

  • 投稿日:2019/03/04
  • 更新日:2021/11/26
お墓の歴史!縄文時代から現代まで15000年を振り返る

現代のお墓はいったいいつごろから今の形になったのか気になりませんか
今回の記事では、お墓の歴史をその発祥から振り返って解説します。

お墓の文化はいつから?日本のお墓の歴史と文化

では最初にお墓の歴史と、その背景になる文化を概観しましょう。

最も古いお墓は縄文時代にさかのぼる

日本のお墓、つまり埋葬という行為ははいつごろから始まったのでしょうか。
現代の古代学でさかのぼれる範囲で言うと、お墓の歴史は約15000年前から約2300年前の縄文時代に始まります。

縄文時代のお墓は単に遺体を素掘りの穴の中に身体を曲げるようにして埋葬していたものです。

遺体を埋葬するということ自体、人間が単なる動物の一種ではなく、霊魂と肉体から成り立っているという考えがあったことを示しています。
ですからシンプルな形であれ、お墓、つまり埋葬ということが存在していた事実は、お墓の発達と日本人の死生観の歴史から見て大きなポイントでしょう。

特に遺跡から発見される埋葬の形式の中には、胸の上に土器が置かれているものもあり、これは人間の魂がまた身体に戻ってこないようにしていたことを示しているという説もあります。

縄文時代の次の弥生時代には、遺体を甕棺などに納めるようになり、埋葬の形式が整って来ます。

古墳時代の権力者と庶民のお墓

今から1800年ほど前の3世紀から4世紀半ばまで続く古墳時代には、古墳と名がつく通り、大規模な古墳というお墓が造営されました。

最大級のものは、大阪府堺市にある仁徳天皇陵です。
仁徳天皇陵はクフ王ピラミッド、始皇帝陵と合わせて世界3大墳墓と呼ばれ、全長約486mの巨大な前方後円墳です。
古墳時代には仁徳天皇陵を頂点に、大規模な古墳が多数生まれました。

しかしこれらの古墳はすべて天皇や貴族、あるいは有力な地方豪族などだけが埋葬されているお墓で、権力を持っているもののみが権力の象徴として造営できました。

では一般庶民のお墓はどうだったのかというと、縄文時代、弥生時代とほぼ変化はなかったようです。
古墳時代は大和朝廷がお墓の大きさを制限する「薄葬令」を646年のを発したことで終わります。

さらに時代が下って、今から1000年前の平安時代には、仏教の影響によって貴族など一部の特権階級の間では火葬という埋葬方法が取り入れられるようになり、お墓がさらに小規模化していきました。

鎌倉時代以降は墓石なしの土葬と風葬がメイン

今から900年前の鎌倉時代以降には仏教が一般庶民にも浸透し、一般庶民も火葬するようになります。
その結果、火葬と土葬が並行して行われました。しかし埋葬先のお墓にはまだ今のような墓標の概念はなく、火葬後の遺骨はお棺に入れて土中に埋め、その上には何も墓石などは置かれませんでした。

江戸時代は土饅頭がメイン

江戸時代になると、時代は逆行し、火葬は廃れて土葬が主体になります。
この理由ははっきりとはしていませんが、仏教による輪廻思想の影響があるのではないかと言われています。

お墓は遺体を死に装束で棺桶に納め、土中に埋葬し、その上に土を盛り上げた土饅頭(どまんじゅう)にするようになりました。
このころにほぼ形式としてのお墓が定着するようになります。

また武士のお墓には板塔婆(いたとうば)や石塔婆(いしとうば)などを建てるようになり、それが庶民にも広がって、卒塔婆(そとうば)墓石などをお墓の上に設置することが一般的になりました。

これが現代のお墓の原型だと言ってよいでしょう。

明治になってお墓は現代の形式に

江戸時代まではお墓は寺院が管理する物しか許されていませんでしたが、明治時代になってから公共の墓地として青山墓地や天王寺墓地が造られ、宗教にとらわれない墓地も造営されるようになりました。
この青山墓地や天王寺墓地に作られたお墓の形式が全国に広がっていって、現代の形式の墓地が浸透します。

今のお墓の形になったのはいつくらい昔?

今のお墓の形になった明治時代の話をもう少し詳しく解説します。

寺請制度の解消

江戸時代の徳川幕府は、国民統制政策の一環として、全ての国民はどこかの寺の檀家にならなければならないという、寺請制度を設けていました。
しかし明治維新で徳川幕府から明治政府に政権が移ると、明治政府が奉じた天皇は神の子孫なので、仏教を主体にする寺請制度は廃止されます。

この寺請制度の廃止によって、国民はどの宗教の管理する墓地にも、あるいは宗教と関係ない団体が運営する墓地にも埋葬されることが可能になりました。

火葬が一般的に

埋葬方法も土葬から再び火葬に移ります。
埋葬するために場所をとる土葬は、急速な都市化によって地価が高騰する東京などの大都市圏では、設けることが難しくなってきたために、場所を取らない火葬が一般化したのです。

大正時代には各自治体が火葬場を設け、地方でも火葬が一般的になります。
ただし、地方では土葬も残り、昭和初期の段階でも、火葬と土葬はほぼ半々の割合でした。

現代のお墓が成立している背景

以上で解説した時代の流れの中で現代のお墓は成立しています。
特に現代のお墓の成立した背景には以下のような点が挙げられます。

墓地埋葬法の制定

現代のお墓のあり方を規定しているのは第2次世界大戦終了の翌年である1946年に制定された「墓地、埋葬等に関する法律」略して「墓地埋葬法」です。
現代において亡くなった人を埋葬する時や、お墓を移す時には、自治体への届け出が必要ですが、これらはすべて墓地埋葬法で定められていることです。

墓石の種類の多様化

お墓の墓石の変化についても触れましょう。

江戸時代の初期には1人1基の五輪塔型の墓石が一般的でした。
しかし寺請制度によって墓地を自由に設けることができなくなると埋葬する土地が限られてくるために、お墓は家族単位、一族単位になり、現代のような墓石の下に納骨室(カロート)を設けて、その上に墓石を建てる形式が一般化しました。

これに伴って、台石を何段か積み、その上に縦長の石を乗せ、家名などを彫りこむ墓石の形も基本となって流布します。

しかしこの形の墓石には多くの石材が必要であり、また仏教を中心にした死生観も変化しているため、お墓の形も変化してきています。
上で挙げた和風の墓石に対して幅の広い洋風の墓石の流行です。
この洋風墓石は石材の量が少なくて済むと同時に、背が低いため周囲が明るくなり、現代の都市部で新しく作られるお墓の3~4割はこの洋風の墓石だと言われています。

さらに最近では故人の人生の好きだった物を形どった墓石や、おしゃれなデザインにしする墓石なども増え、お墓の形自体非常に多様化しています。

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地域にある管理者がいなさそうなお墓は何?

お墓の形の話とは少し異なりますが、地方などに行くと誰も管理者がいなさそうなお墓や墓地を見かけることがあります。
これらはどのような経緯で存在するようになったのでしょうか。

寺院の中にもなく、管理事務所もない、一見誰も管理していない墓地のように見えても、実は墓地の使用者や地域のコミュニティーで管理されていることがあります。
これを共同墓地といいます。

ただし先ほど挙げた墓地埋葬法では、墓地は地方自治体の認可を受けた団体しか管理、運営することはできないとされています。
しかし共同墓地の多くは江戸時代から続き、墓地埋葬法よりも先に存在しているものなので、本来は墓地埋葬法では許されていない形のままには現代でも生き残っています。
墓地埋葬法以前から行政の許可を受けて運営されていたこのような墓地を「みなし墓地」と言います。

墓石のトレンドも変わる

墓石に関しては法律の規定でも、また霊園の管理規定でも制限は設けられていません。
ですからどのような材質の墓石でも作ることが可能です。
極端に言えば、墓石どころか、木や場合によってはプラスチックで墓標を作ってもOKなのです。
つまり墓石ではなく「墓標」という概念です。

昔の墓石は大谷石・現代は御影石

しかし墓標が多様化したとは言っても、そのトレンドはあります。
現代のトレンドは御影石で墓石を作ることです。

御影石が一般的になったのはこの30年ほどのことです。
それまでは御影石の代わりに大谷石がトレンドでした。
大谷石は材質が柔らかく墓石に加工しやすいため墓石として重宝されていたのです。

しかし阪神淡路大震災や東日本大震災によって多くの墓石が倒壊し、大谷石で作られた墓石が崩壊してしまったことを契機に、頑丈な御影石が用いられるようになりました。

最近登場している新しいお墓

先ほど書いたように、現代の墓石は江戸時代から続いている縦型の和風墓石を軸にしながらも、横長の洋風の墓石が増えてきています。
先ほどはこのトレンドの理由として、石材が少なくて済むことと、背が低いため周囲が明るくなることを挙げましたが、理由はそれだけではありません。
墓石が大谷石から御影石に変わったのと同じ理由で、洋風墓石の方が壊れにくい形であるこということも大きいです。

洋風墓石は横に広いので、和風墓石よりも安定感があり、多少の地面の揺れがあっても台座から落ちで壊れにくいのです。

加えて和風墓石では南無阿弥陀仏などの念仏や何々家の墓というように、刻む言葉が決まってしまいますが、洋風墓石であれば、宗教や決まりごとにとらわれない自由なメッセージを彫ることが可能です。
色や石材も自由に選べます。

さらに最近ではアメリカの墓地によくある、地面に芝生を張り、その上に墓石を置く「芝生墓地」が現れてきています。
芝生墓地は明るく清々しい雰囲気があるので、今後は増えていくでしょう。この芝生墓地に和風の墓石はやはり似合いません。
似合うのはアメリカの墓地にあるような横型の洋風墓石です。したがって芝生墓地の普及とともに、洋風墓石も増えていくでしょう。

まとめ

駆け足で日本のお墓の歴史を振り返りました。

お墓が15000年前の縄文時代に始まり、江戸時代に原型ができたということがよくお判りいただけたのではないでしょうか。
しかし、現代の自由な価値観を反映して今後さらにお墓の形は変わっていくでしょう。
もしかしたら10年後にお墓の歴史を振り返った場合、平成時代の終わりにお墓の形は変化した、とされるかもしれません。